「やりたいこと」は、 本当にあなたの「やりたいこと」なのでしょうか
こんにちは、yobbe(ヨッパ)です!
先日、こんな記事をみかけました。
私たちは「自分のやりたいこと」をはっきりさせ、それに向かって突き進むことをよしとする社会に生きています。
それが大変に素晴らしいことと思うのですが、「やりたいこと奨励社会の難しさ」は、そんなに簡単にやりたいことが見つからないということに尽きるでしょう。
私たちが日常生活でする多くのことは「やりたい」というより「やりたいと思わされている」ことの方が多く、そこから純粋に「やりたいこと」を取り出すのは至難の技なのです。
なるほど。
・・・多そう。ありそう。
むしろ、誰かに影響されずに、純粋に「これはやりたい!」と思えることって少ないのでは?とさえ思ってしまいました。
私自身今までを振り返ると、ゴロゴロでてきました。
大学選びも、偏差値が高ければ高いほど良い、という考えを何の疑いもなく持っていました。
今思えば、本当にその大学や学部に入りたいというかと言われると、けしてそんなことはありません。知名度がある、そこに入学すれば就職にも良さそう、などの気持ちでした。
就職するときも、ベンチャーに行くか大手に行くか、悩んだことを覚えています。
本心としてはベンチャーの方がたのしそう!と思ったのですが、周りでその企業を知っている人はほぼいないし、大手企業のほうがなにかとよさそう、と。
(結果、自分のやりたいことに耳を傾け、ベンチャー企業を選んだので、自分にとってはよい判断をしたな、とおもいます!)
そんなように、
- 将来、そっちの方がなにかと有利そう
- 周りからすごいと思われそう
- 一般的にはみんなこっちを選ぶからこっち
など、自分の意思ではなく、世の中の意見を優先することってありませんか。
それがいつしか、
「世の中的にこっちのほうがよさそう」
↓
「世の中的にこっちのほうがよさそうだから、私はこっちを選ぼう」
↓
「私がこっちを選びたいから選んだ」
に変わっている気がします。
やりたいと思わされていることは、長続きしない
根っこが自分の思いじゃないと、少し環境や状況が変わったら、あれ、これって本当に自分やりたいことだったんだっけ。とモチベーションがストンと落ちることってありそうです。
いま自分がやりたいと思ってることって、ほんとうに自分がやりたいこと?それとも…?
きめたのは自分のように思えても、一般論に惑わされて、そう思っているだけかもしれません。
以前yufkinが書いていた記事、
にもこんな文章がありました。
どうやら、私達は働くことを通して「成長するべき」という思考に囚われすぎていたようです。
私も以前、心から「成長したい!スキルアップしたい!」と思っているときがありました。成長第一主義。成長意欲の塊。
ただ、成長したい理由は、自分に自信がつけたかったというのが大きな理由でした。
なので、一定評価され、成長実感も湧いたとき、「あれ、もうこれ以上がむしゃらに成長しなくてもよいかも?」と思うのも不思議ではありませんね。
成長第一を望む時期は過ぎたのに、世の中的に求められる「成長はすべき」という考えがいつまでも自分の中に残り、「自分は成長したい、何よりも成長することを優先したい」と思い込んでいたのです。
・本当にやりたいのか
それとも
・やりたいと思わされているのか
自分の中の常識を壊し、再度考えてみると、新しい発見がきっとあります。
新しい自分が見えてきます。
今よりもっと楽に、心地よく!
次はyufkin。
自分の気持ちを取り戻したとき、どんな自分が見えてきましたか。今まで自分でも気づいていなかった気持ちを発見したのではないでしょうか。
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