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人が人らしく生きるために必要なこととは?ー1人ではできないけど、2人ではできるー

感じること。感動すること。そして、感動を共有すること。- - - - - -3年前の2015年夏、1カ月ほど人生の休暇ができたので、旅にでることにしました。ダイビングが好きなので沖縄の慶良間諸島を行き先に決めました。一人旅です。朝早くから海に出て、午前中に2本から3本潜ります。魚やサンゴに出会えます。チャプンチャプン海からあがり、ボートの上で飲む麦茶が体にすーっと染み込む感覚を今でも覚えています。さっきの魚は大きかったね水の透明度がキレイでしたね明日も海が穏やかだといいね 綺麗な景色に感動しても、ちょっとしたことに可笑しいなと思っても、それを伝えることができないのって、どこか物足りなくないですか?一人で美しいものを見ても、一人で美味しいものを食べても、どこか感動が浅い。ダイビング自体はとても楽しかったのですが、共感できる相手がいないと、なんだか感動が半減して、孤独感を味わったことを覚えています。誰かと共有するからこそ、心からうれしい。わたしは、感動を誰かと共有することでこそ、深い喜びを感じるんだな、と気付きました。無人島にいったら、まずは身体ではなく精神的に辛くなる、と聞いたことがあります。その意味がなんとなくわかりました。人が一人では生きていけないのは、気持ちのつながりを必要とするからなんですね。ちょっと落ち込んだとき、家に引きこもってばかりではなく、外に出てカフェにいくだけでも周りの人に元気がもらえる気がします。人のエネルギーってすごいですよね。とある実験で、細胞を一つだけに切り離して育てていたところ、その細胞はすぐに死んでしまったそうです。それが、細胞を二つにするとイキイキと育ち、どんどん増えたそう。知らない街に旅行にいったときも、1人だとおろおろしてしまうけど、2人だと、どうにかなる!と理由もなく強くなれるときありませんか?日頃感じた感動、ちゃんと誰かと共有してますか?日常を振り返ると、仕事において、感動を共有することはきわめて少ないことに気付きました。なぜか。感情は、仕事の阻害要因になりえてしまうからです。感情的になるな女はすぐ泣くもっと落ち着いたらどうですかロジカルに考えるべき物事を整理して、論理立てて説明することが求められます。そこに感情は必要ありません。 でも私たちは、マイナスな感情だけに蓋をすることはできません。怒り、悲しみ、寂しさ。これらを無視すると、喜び、笑い、楽しさ、感動など、感情そのものに鈍感になるのです。もっと笑いましょうもっと楽しみましょう悲しんだっていいんですときには怒ってももちろんいいです。その分、ワクワクを見つけましょう感じること、感動すること、心が動くことは、深い幸せを届けてくれます。深い悲しみを経験すると、その分深い喜びも味わうことができる。心が折れると、二度と折れないためにあえて自らを麻痺させて、ちょっとつつかれたくらいじゃ何も感じない強靭な心を身につけてしまいます。でもそれは、心が強くなったわけではなくて、麻酔で感じないようにしているのと一緒です。私たちの心は、もっとしなやかで、回復力があって、折れても元に戻ろうとする力があるはずです。強い悲しみから逃げるために心を鈍感にさせないで、小さなことでも喜べる心を作りましょう🍀

話せばわかる?どんなに頑張っても相手に伝わらないとき。

同じ言語を話しているのに同じ言葉を使っているのに伝わらない。一生懸命伝えても、理解してくれない。その時の悲しさは、深い喪失感にも似ています。なぜ伝わらないのでしょうか。こんなに必死に説明しているのに…!人は生まれてきてから色々な経験をします。そして、その経験から自分なりの哲学を学びます。たとえば電車の中ではじめて誰かに席を譲った時。断られたら、次また誰かに譲ろうという勇気がちょっと減りますよね。でもその次に勇気を出して譲ろうとしたら、また断られてしまった。その人は、誰かに席を譲ることを避けるようになるでしょう。一方、はじめて譲ったときにとても丁寧に感謝され、電車を降りるときも改めて感謝をされた。とても嬉しいですね。良いことをした!その人は、その次も誰かに譲ろうと思うでしょう。次、誰かに断られたとしても、はじめて譲ったときの嬉しいじんわりした気持ちが残っているので、また困っている人がいたら譲ろう!と思いますね。今までわたしは、話せば伝わると思っていました。かの有名な名言、「話せばわかる!」ばりに、膝と膝を突き合わせて腹割って話せば、いずれ理解し合えると。本当にそうなのでしょうか?同じ家族でも、姉妹でも、たとえ双子でも、なにを経験してきたかはみんな異なります。席を譲る、ということ一つとってもポジティブに捉える人もネガティブに捉える人も、どちらもいる。恋愛も勉強も仕事も、いろんな経験を積み重ねて、一人一人、自分にとって大事ななにかを学んでいきます。日本人にとっての桜は、出会いや別れなど大事な思い出を想起させる、ある種シンボルですが、海外の人にとってはそうではないかもしれません🌸また、仕事の進め方や友達付き合いもそうですね。分からないことがあったらうまく周りに聞いて解決するか、自分で本やネットで調べるか。同僚との付き合いも、少し適度な距離を置くか、土日も遊べるくらい距離を縮めるのが好きなのか。どちらかが正しいかというと、そういう話でもありません。事実はあっても、正解はありません。全てが白黒つけられるほど整理された世の中ではないし、人間は完璧ではないし。大事なのは、相手の価値観の違いを認めて、受け入れること。最近は多様化、なんて言葉もよく聞くようになりました。役員に一定の割合で女性を配置することを決めたり、多国籍の人を受け入れたり。またLGBTもそうですね。性別や国籍などわかりやすい違いではなくても、一人一人の価値観は全く違います。日本人だから、女性だから、同じ会社に勤めてるからといって、価値観が同じなんてことはないです。もしかしたら日本人同士のAさんとBさんは、日本人とフランス人くらい価値観の開きがあるかもしれません。相手の言葉が理解できなくても、自分の言葉が伝わらなくても、それでいいのです。それが、普通。この前本を読んでいたらこんなことが書かれていました。尊敬する、とは、ありのままのその人を受け入れる、ということ尊敬って、もっとこう、秀でたものを賞賛、憧れるイメージをもっていました。あの人のここが素晴らしくて、自分もああなりたい…尊敬するな…というような。そうなると、素晴らしいと言えるものがなければ尊敬されないことになります。でも、どんな人であっても、その人をありのまま受け入れる、ということが尊敬する、といえるのですね。よかった。尊敬されない人同士が一緒にいても楽しくないし、虚しいです。どんな人でも、相手を認めることができればいい。バックボーンも外見も違う私たちは、理解しあえなくていいのです。理解できなくても、尊敬をすることができれば、もっと楽しく、愛に溢れた毎日を過ごすことができるのではないでしょうか。もっともっと、みんなのことを尊敬したいと思います!

デンマーク旅行記①デンマークってどんな国?

先日デンマークに旅行にいってきました。コペンハーゲンへ。Hyggeについて深く知りたい、幸せの国世界一に輝くデンマークっていったいどんな国?と思い、行ってきました。東京からは約11時間のフライト。今の夏の時期は日が長くて、夜の9時を過ぎてようやく日が傾き始める、そんな街です。デンマークに降り立った私がはじめて感じたのは、意外とドライでクールな街だな、ということ。涼しい気候やカラッとした空気だけからではなく、建物や空間、街ゆく人のオーラからそう感じました。フランスなど他のヨーロッパと、近い雰囲気。じつは、デンマークは、いかにもあたたかくてほがらかで、そこにいるだけで幸せな気持ちになるような国なんだ!と勝手に思っていたのです。変な期待を想像してました。でもけしてそんな夢のような国はなくて、いたってフラット。ノーマル。何かに困っていたら誰かがすぐに駆けつけて笑顔でたすけてくれるか、というとそんなことはない。お店のレジでもたもたしていたら、それなりに冷たい対応はとられます。要は、日本とそう大きく変わらない。では世界一幸せと評されるデンマークの秘密は…?hyggeを理解するべく、まずはデンマークの基本的な情報を調べることにしました。デンマークってどんな国?

片付けは自分を映す鏡

皆さん、片付け好きですか?断捨離ブームに始まり、近藤麻理恵さん(こんまりさん)の『人生がときめく片付けの魔法』の大ヒット、ミニマリストの登場とここ何年も片付けブームですよね。私もブームに乗って、片付けを始めたひとりで、今では定期的にやらないと気が済まないくらい好きになりました。やろうやろうと思ってはいるけど腰が重い、どうしてもやる気になれない・・・と思っている人がいたら、それはもしかしたら、自分と向き合いたくないからなのかもしれません。ひとり暮らしをきっかけに始めた片付け私が片付けを始めたのは、社会人になってひとり暮らしを始めた頃です。自分の部屋はあったものの家族の物が置いてあったり、物が多い家庭で育ったので、自分の好きなものだけに囲まれて暮らすのが夢だったのです。なぜ物が捨てられない?片付けを通して自分と向き合うひとり暮らしを始めてから数年かけて片付けをし続ける中で、なぜ物が捨てられないのかについて考えてきました。片付け真っ最中は気がつかなかったのですが、捨てられないことと自分自身は深く関係していたようです。真っ最中に整理できなかったのは、ありのままの自分を見ようとしていないか、見えても認めるのに時間がかかったりしていたからだと思います。もし、あなたが片付け出来ない人だとしたら、こんなことに心当たりはないでしょうか?・完璧主義・心配性・決断を先延ばしする癖がある・実家のルールに縛られている・収納することで解決しようとしている・飽きっぽい・自信がない・理想の生活を具体的に描けない変えられそうなことから少しずつ片付け出来ない理由は自分の価値観や考え方によるものだったのですから、それらを変えれば良さそうですよね。でも、長年付き合ってきた(もしかしたら見て見ぬふりをしてきた)自分なのですから、なかなかすぐには変わってくれそうにありません。でも、せっかく新たな生活に向けて一念発起したのですから、諦めないで少しずつ自分と向き合ってみませんか?まずは、変えられそうなところを探してみてはどうでしょう。私は上に書いたような多くの理由で片付けが進まなかったのですが、その中のひとつ、決断を先延ばしする癖があったことを例に少しお話しします。片付けを始めた頃、ちょうど断捨離ブームだったような気がします。捨てられないものを箱に入れておいて、1ヶ月かたったら捨てる、というメソッドが紹介されていたので、早速実行してみました。さて、1ヶ月後、私はその箱を捨てられたでしょうか。答えはNoです!笑1ヶ月使わなかったけど、3ヶ月経ったら、半年経ったら使うかも・・・と延々捨てられなかったのです。1ヶ月とかだと中身を覚えているので余計タチが悪いですね。その後結局その箱は、どうなったか。次の引越しの時(たぶん2年後)にやっと捨てられたのです。さすがに、箱の中身を覚えていなかったのと、片付けをした日付が書いてあって結局2年使わなかったことが、非常に記憶に残っています。ここで私は、1ヶ月使わないものはその後何年も思い出すこともない、決断の先延ばしは全く意味がないと学び、その後は、不要と思ったら即捨てられるようになりました。さらに言えば、私はおそらくその箱を実家に置いておくという最低なことをしていました。。本当に恥ずかしい!(お母さん、ごめんなさい)実家に物が多いとか文句を言うのは、自分が自分の物を責任持って管理してからにして・・・という母の声が聞こえてきますね。自分がいかに口だけかということも痛感した出来事でした。少し恥ずかしい話でしたが、こうして、少しずつ変えられる自分を変えていけばいいと思うのです。この変えられた経験を積み重ねていけばいいのです。そして、変えて変えて変えて変えて、それでも変えられない自分は、大事な自分の軸として誇りにしていい。そんな風に思います。片付けを継続して自分を見つめ直そうこう考えてみると、片付けって自分を映す鏡なんですね。本当の鏡のように、磨けば磨くほど自分の価値観や気持ちが見えてくるし、さぼったらその分見えづらくなってしまう。一度曇った鏡は磨くのが大変。なるべく片付けを継続して、自分を見つめ直したいものです。

自分のことをミジンコみたいに感じたら

こんにちは、yobbe(ヨッパ)です!何年か前、楽天が社内の公用語を英語にしましたね(ちょっと古い?)近年では英語(と、プログラミングも!)が小学校の必須科目になるとかならないとか。今私が働いている会社も海外国籍の方がそこそこ多く、日本人であっても英語が話せる人が多いです。 さらに、私が属しているチームは、なんと私以外のメンバーはみんな海外で1年以上の留学経験があり、日常会話レベル以上に英語が話せるのです。私も日々ひぃひぃ言いながら、外国の方とどうにかコミュニケーションを取っています。…何が言いたいかというと、今日のテーマは劣等感。そう、わたしはこの環境で、自分が劣等感を抱えていることに気づいたのです。それも必要以上に!これは、健全なの?と思ったことがきっかけで、劣等感について考えてみました。劣等感とは?そもそも劣等感って、なんでしょうか。辞書で調べると、「自分が他人に劣っていると感じること」と出てきました。例えば。その集まりの共通言語が英語で、自分だけが話についていけてないとき。自分に自信を失い、なんだかとても居心地がわるくなってしまうのです。英語、という点で劣等感を感じるのは自然なことですね。でも、私が感じる劣等感は、英語力そのものではなく、自分自身に対してだった、ということに気付いたんです。「英語ができないこと」以上に、「過去、英語をちゃんと学ぶことをしていなかった自分」もっというと、「英語の必要度が明らかに高まるこの時代に、今の今まで英語を本気で学ぼうとしていなかった、自分の感度の低さ」 に対して劣等感を感じていたのです。・・・真面目すぎるというか、深刻に考えすぎというか、、、スキルだけではなく、人間性そのものまで劣っていると、と感じていたのですね。誰かに言われたわけではないけど、自分で自分を責め、勝手に自己否定。他にも、職場で上司に、これ知っている?と聞かれた時、「知らない」と堂々言えないときがありました。これは、「知らないこと」自体ではなく、「この業界のこの会社で働いていたら当たり前のようにしっておくべきことなのに、ちゃんとキャッチアップしていない自分の意識の低さ」に対して劣等感を感じていたのですね。・・・もっと楽になればよいのに、と書いていて思いました。笑劣等感を感じた先にあるものは?自分が価値ない人間に思えたり、あのときああしとけばよかった…と後悔を感じてしまうこともわかります。その悔しさがバネとなりモチベーション維持につながったり、よし頑張ろう!という気持ちになるならバンバンザイです。でも、悔しさを押し返せずに、自信をなくし、触れて欲しくない領域としてフタを閉じてしまってることありませんか?それって、健全な劣等感なのでしょうか?なんかもっとこう、前向きに捉えなおすことはできないのでしょうか。自分には価値がないと思ってしまう理由個人的に思うのは、人を見るときに、スキルや肩書きなど分かりやすいもので判断しがちな世の中、という点があると思います。学歴がどこどこ以上じゃないと採用しない、とか聞いたことありませんか。社会では、仕事において役に立つ点で判断されます。つまり、どのくらい会社に貢献できるのか。その判断基準に自分が当てはまっていないと、自分には価値がない…と思ってしまっても不思議はありません。でも、立ち止まって考えてみてください。その判断基準は、あくまでも相手が求める基準です。どうすればいいのか自分の良さは、必ずしもみんなに伝わるものじゃなくていいのです。誰か1人でもわかってくれていたら、いいのです。 例えるなら、南国ではホッカイロは不要ですね。だれも欲しがりません。でも、北極ではめちゃくちゃニーズがあります。現実世界ではそこまで極端ではないかもしれませんが、自分がミジンコみたいに感じるときがあったら、自分は南国のホッカイロなんだ!と思い、必要以上に劣等感を感じなくてもいいのではないでしょうか。(…笑)評価と価値は、違います。前向きな劣等感なら良いですが、元気がなくなるねじれた劣等感なら、捉え直して、もっと心地よく日々を過ごしましょ!次はyufkin (ゆふきん) !

自信が必要かどうかはもう考えなくていい

「自信がない」日本人は、諸外国に比べて自信がもてない人が多いそうです。謙虚であることが美徳とされているからか、自信満々です!という人はあまり見かけないですよね。私も、このことについてもう何度考えたかわかりません。でも、最近このことについて、調べたり躍起になって解決しようとしていませんでした。問題と少し距離が置けたら、ひとつ疑問が。「自信てそもそも必要なんだっけ?」自信がないことがもたらすことそもそも、自信がないとこんなことで悩みがちになりますよね。・自分の意見を言えない・周りの評価が気になる・失敗するのが怖い・根拠ばかり探して頭でっかちになる・行動しなくなるこれらの根本的原因は、ありのままの自分自身に自信がもてないからとされています。じゃあ、ありのままの自分に自信を持つには・・・?自分の意見を言っても大丈夫なんだ、評価されなくても大丈夫なんだ、失敗したっていいんだ。という体験の積み重ねをするのが良さそうです。自信がないことを解決するには、自信がなくて出来ないことをやる。なんだかニワトリタマゴですね。自信があるかないかって関係ないかもここで、ちょっと考えてみてください。例えば、「自分の意見を言えない」というのは「言う」か「言わない」かの行動の結果でしかないはずですよね。自信があるかないかと、やるかやらないか、さらにその結果に関係ってあるのかな?と思っちゃいます。自信をつけることそのものにフォーカスしすぎると、行動するかしないかに視点が動かず、先に進まない。最終的にやりたいのは自信をつけることではなく、出来ないことを出来るようにすること。そう考えた方が足が進むのではないかと思います。結果を予測しない方が動きやすくなる行動することでしか結果として自信がつかないのなら、どんなやり方なら行動しやすいなるでしょうか?私達はつい、行動する前にこんなことをしてしまいます。結果の予測をし、予測した結果に応じて、時に失敗を避けようと効率的な方法を探したり、完璧な方法を求めたり。このような慎重なやり方が必要な時もあるでしょうが、行動量を増やすという時には、やはり足枷になりそうです。例えば、自分の意見を言えないというのは、言った結果何か悪いことが起こりそうと予測しているから言えないのですよね。自分の意見を言うと、相手が、意見を言ったことに感謝してくれて、心底理解してくれて、さらにお金までくれる!みたいなことがあったら、どんどん言いませんか?・・・言いますよね。笑ということは、予測した悪い結果を避けようとして行動しない、という選択をしているのですから、まずは予測しないことが第一歩になりそうです。また、相手を変える等して行動のハードルを下げるのも良さそうです。例えば、自分の意見を言えない相手が上司だった場合、まずは親や家族でとにかく意見を言う回数を増やしてみる。親や家族にも言えないのに、他人である上司に言えるはずがないですもんね。そして、行動したら、結果に一喜一憂せず結果を記録することをおすすめします。・行動の結果と予測はどうだったか?・自分の予測はあてになるか?・意外と悪いことって起こらないんじゃないか?それを検証してみるのです。頭の中で8割方悪い予測をしていたけど、実際は良いこと悪いこと半々だったなぁとわかれば、それで少し自信がつきませんか?思い通りにならないお天気でさえ、晴れる日が半分くらいなのだから、行動した結果もそんなものかしら。以前より少し気楽な捉え方と出会えたように思います。「自信」について考えるのをやめた時間、hyggeに過ごそう今まで、「自信」について本当にあれこれぐるぐると考えてきました。なぜ自信がないのか、その原因はどうしたら取り除けるのか、頭で考えて考えて考えて。出来ることから行動すればいいのに足が動かない。頭ではわかっているのに出来ない。気持ちが動かない。疲れすぎていたのだと思います。先のことはわからない。必要かどうかわからない「自信」について考えるより、いい気分で過ごそう。どうせ同じ時間なら、よりhyggeな方を。自分の心が望むことをやってみる。そうしているうちに、少しずつ体が動いてくる。そのくらいがちょうどいいのだと感じています。

必要以上に傷ついてしまうのは、自分ゴト化をしすぎてしまうから

人との関わりは、私たちが心地よく暮らすためにはとっても大事な要素ですよね。転職の一番大きな理由は人間関係といわれるくらいです。家族や兄弟、会社の先輩や友人、ちょっと知り合い。いろんな人と関わって生きています。たくさんの人との関わりの中で起こる感情は、自分ではコントロールしきれません。常にハッピーでいたくとも、何か言われた時落ち込んだり、悲しくなったり、憤るとき。ありますよね。でもこれ、本当に悲しくなる必要はあるのでしょうか。傷つく必要はあるのでしょうか。自分ゴトにしすぎていた以前同じチームに、気分の浮き沈みが激しくて機嫌が悪い時には目に見えるほどイライラオーラが出る人がいました。当時は、自分が何かしてしまったのかも…自分の何がいけなかったのだろう…と自分のせいだと思い込み、勝手に落ち込んだり傷ついたりしていました。でもしばらく繰り返すうちに、その人の機嫌の悪い時には、自分以外の人にも対応が悪いことに気づいたのです。さらに日が経つと、周りの人からあの人は機嫌の浮き沈みがあるから、機嫌が悪いときにはそっとしておいた方がよいよというアドバイスを聞きました。その時私は、あ、自分のせいでその人を怒らせたと思っていたけど、自分とは関係なかったんだと気づき、勝手に傷つくことがなくなりました。よくよく考えればわかることですが、人はいろんな一面をもっています。会社以外にもいくつものコミュニティを持っています。機嫌を害する原因は、私たちが想像できないくらいたくさんのところに可能性があるんです。家族と喧嘩したのかもしれない低気圧によって体調がすぐれないのかも朝寝坊して、気持ちに余裕がなくイライラしている?上司に怒られて、虫の居所が悪いのかも・・・などなど。理由なんて本人しかわかりませんし、推測しようとしたらいくらでもありますよね。当人すら、理由がちゃんとわかっていないこともありそうです。でも当時の私は、すべてを自分のせいにしてしまっていたのです。ある意味過信といえますが、自分が相手に影響を及ぼしたと思い込んでいたのです。想像力を広げて、感情を捉えなおすそのときの自分の気持ちの流れはこうでした。1. 話しかけたら反応が冷たい…怒っている? ↓2. 自分がなにかしてしまったのかも ↓3. 何をしてしまったのだろう、話しかけるタイミング?内容がわかりづらかった?すぐに自分ゴト化してしまっていますね。社会では圧倒的自分ゴト化がよしとされますが、すべてにあてはめるのは必ずしもよいとは言えなそうです。2番目の段階で、もっと発想を広げることもできるわけです。ただ、もしかしたら本当に自分が相手を怒らせてしまっていることもあるかもしれません。そういう時は、ぐっと一歩踏み込んで聞いてみましょう。「すみません、自分が何かをしてしまいましたか?もしそうなら、謝りたいので教えてください」推測で傷つくよりも、ちゃんと言葉にすることで状況がわかるかもしれません。それに、その人自身、誰かを傷つけたくてそういう行動をとっているわけではなく無意識にそうなっていることもありそうです。傷つく必要がないことは案外多い誰かと意見が違った誘ったら断られたなど、自分の意見を否定された…悲しい。ランチを誘ったら断られた。嫌われているから…?と思ってしまうことありませんか?でも、傷つく必要ないんです。断られたのは、その人のその時の気分かもしれないし、もともと1人が好きなタイプかもしれません。意見が違うのも、歩んできた人生が違うので自然なことです。また、意見が違うからといって、自分自身を否定されたこととは違います(ここは気を抜くと混同しがちなポイントですが、意見と人格は違います!)全てを自分のせいにせず、物事を幅広い視野で多角的に捉え直してみましょう。スッと楽になりますよ!肩の力をぬいて、らく〜にらく〜に!yobbe(ヨッパ)でした。次は30dayチャレンジを引き続き挑戦中のyufkin(ゆふきん)です☆彡

思い通りにならないことと付き合う

急に崩れる天気・天気が崩れると崩れる体調・カフェで1人なのに2席分に座る人・この人、なんでそんな言い方するの?・・・毎日毎日、思い通りにならないことにイライラしていませんか?もうやめたい!良いことなしのイライラ探し自分の気持ちがわからなくなったら前回この記事で日記を書くことをオススメしたのですが、細かに日記をつけていたら気がつきました。あっちでイライラ。こっちでイライラ。あれ、私まるでわざわざイライラ探しをしているようです。ずっとイライラしていると、眉間にシワは寄るし、口調も冷たくなるし、明らかに「あ、この人イライラしてる!」みたいな感じになり、人は離れていきます。そんなつもりじゃなかったのに、と気がつけば自己嫌悪・・・。イライラ探し、いいことゼロ!やめたい!自分が選んだ人生、こんな時間の使い方はしたくない!思い通りにならないことでイライラすることをやめよう。そう決心しました。そして、TEDという世界的著名人の講演動画の中で「ずっとやりたかったこと、試しに30日間やってみたら?」と提案されている”30daysチャレンジ”を始めることにしました。(今回は”30daysチャレンジ”には詳しく触れないので、気になる人はこちらを見てください。)

「やりたいこと」は、 本当にあなたの「やりたいこと」なのでしょうか

こんにちは、yobbe(ヨッパ)です!先日、こんな記事をみかけました。「やりたいこと」の多くは、「やりたい」と思わされている私たちは「自分のやりたいこと」をはっきりさせ、それに向かって突き進むことをよしとする社会に生きています。それが大変に素晴らしいことと思うのですが、「やりたいこと奨励社会の難しさ」は、そんなに簡単にやりたいことが見つからないということに尽きるでしょう。私たちが日常生活でする多くのことは「やりたい」というより「やりたいと思わされている」ことの方が多く、そこから純粋に「やりたいこと」を取り出すのは至難の技なのです。なるほど。本当はやりたいことではないけれど、「やりたいと思い込んでいる」。・・・多そう。ありそう。むしろ、誰かに影響されずに、純粋に「これはやりたい!」と思えることって少ないのでは?とさえ思ってしまいました。私自身今までを振り返ると、ゴロゴロでてきました。大学選びも、偏差値が高ければ高いほど良い、という考えを何の疑いもなく持っていました。今思えば、本当にその大学や学部に入りたいというかと言われると、けしてそんなことはありません。知名度がある、そこに入学すれば就職にも良さそう、などの気持ちでした。就職するときも、ベンチャーに行くか大手に行くか、悩んだことを覚えています。本心としてはベンチャーの方がたのしそう!と思ったのですが、周りでその企業を知っている人はほぼいないし、大手企業のほうがなにかとよさそう、と。(結果、自分のやりたいことに耳を傾け、ベンチャー企業を選んだので、自分にとってはよい判断をしたな、とおもいます!)そんなように、将来、そっちの方がなにかと有利そう周りからすごいと思われそう一般的にはみんなこっちを選ぶからこっちなど、自分の意思ではなく、世の中の意見を優先することってありませんか。それがいつしか、「世の中的にこっちのほうがよさそう」 ↓「世の中的にこっちのほうがよさそうだから、私はこっちを選ぼう」 ↓「私がこっちを選びたいから選んだ」に変わっている気がします。やりたいと思わされていることは、長続きしない根っこが自分の思いじゃないと、少し環境や状況が変わったら、あれ、これって本当に自分やりたいことだったんだっけ。とモチベーションがストンと落ちることってありそうです。いま自分がやりたいと思ってることって、ほんとうに自分がやりたいこと?それとも…?きめたのは自分のように思えても、一般論に惑わされて、そう思っているだけかもしれません。 以前yufkinが書いていた記事、「成長」を求めない勇気にもこんな文章がありました。どうやら、私達は働くことを通して「成長するべき」という思考に囚われすぎていたようです。私も以前、心から「成長したい!スキルアップしたい!」と思っているときがありました。成長第一主義。成長意欲の塊。ただ、成長したい理由は、自分に自信がつけたかったというのが大きな理由でした。なので、一定評価され、成長実感も湧いたとき、「あれ、もうこれ以上がむしゃらに成長しなくてもよいかも?」と思うのも不思議ではありませんね。成長第一を望む時期は過ぎたのに、世の中的に求められる「成長はすべき」という考えがいつまでも自分の中に残り、「自分は成長したい、何よりも成長することを優先したい」と思い込んでいたのです。・本当にやりたいのかそれとも・やりたいと思わされているのか自分の中の常識を壊し、再度考えてみると、新しい発見がきっとあります。新しい自分が見えてきます。今よりもっと楽に、心地よく!次はyufkin。自分の気持ちを取り戻したとき、どんな自分が見えてきましたか。今まで自分でも気づいていなかった気持ちを発見したのではないでしょうか。今感じていることを教えてください/