なぜ、自分が大事にしたいことを大事にできないのか

こんにちは、yobbe (ヨッパ)です!


前回のyufkin (ゆふきん)の記事をうけて、私も考えてみました。



なぜ、自分らしさに気づかないフリをしてしまうのか。

なぜ、自分にとって大事なことに気付こうとせず、自分を大事にできないのか。


改めて言われると、とても不思議ですよね。本当は大事じゃないものにエネルギーをかけてしまってるわけですよね。

自分自身に限らず、家族なども当てはまるのではないでしょうか。身内だからと甘えて、ストレスをそのままぶつけてしまったり、働いてきて疲れているんだから!と、コミュニケーションが雑になる、なんてことありませんか。


自分が大事にしたいものやすべきものを、ちゃんと大事にできていないって、案外ありそうです。

では元に戻って、自分を大事にできていない理由ですよね。


なぜ、自分のことを大事にできないのか

そもそも、やるべきことが多い、と勝手に思っている

例えば働く、ということ。

働く目的は人によってさまざまで、やりがいや成長など自己投資の場合もありますが、根本的には生きるため(=生活費を稼ぐため)に働いているわけです。なので、”仕事”というのはそもそもやるべきこととして、優先度が高くなりがち。

具体的には、9時には出勤する、というルール的なものから、会社が決めた目標の達成、期待されている行動をする、などがあります。

ここで一つ疑問が。

目標の達成や期待される行動をすることって、範囲が広い、もしくは曖昧じゃありませんか?

例えば月末。
このままだと今月の予算に届かなそう…やばい…
そんなとき、どこまで目標に向けて行動をしていますか?

人によっては自分が出来る範囲で行なっているでしょうし、人によっては休日返上で努力する人もいるでしょう。

ある意味、期待されることにとことん応えようとすると、やるべきことって、際限なくあるのです。

でも、そのあなたが思っているやるべきことって、誰が決めたのですか?
どこかのラインまでは確かに”やるべき”ですが、そこから先は”やりたいならやること”のはずです。

(会社によっては”やるべきこと”がめちゃくちゃ多いというブラック的な会社もあると思いますが…)

やるべきことと思い込んで、目の前のタスクに埋もれ、流されて、大事なことをするのはあとまわし。だって、やるべきことがあるんだもん。

…でも、それ、いつ終わるの?って話ですね。

時間は有限です。

自分が大事にしたいことは、ちゃんと自分自身で時間を作る必要があるのではないでしょうか。

今は大事にできていなくても、未来のためになることをやっている

未来に対して努力をしていることは、とてもステキなことだと思います。


でも、今を犠牲にし、得られるかもしれない心地よい未来と、心地よい今って、どちらが大切なのでしょうか。

同じくらい、どっちも大事ですよね。今に対しての優先度って、なぜか低くなりがちです。なんでなのでしょう。


この辺は今後深掘りたいトピックの一つです。


また、自分が目指している未来は、ほんとうに自分が求めているものかどうかも、議論の余地ありです。


それは自分が求めているというより、周りや組織が求めている未来なのかもしれません。


誰かに認められる、ということがヒトにとって重要度の高いことだから

誰しもが承認欲求というものを持っています。そしてその承認欲求は、自分で満たすこともできますが、自分の欠点は自分が一番よくわかっているので、そう簡単には認めてあげられないのが人間です。自分をまるごと受け入れるのって、なかなか難しいんですよね。


いろんな成功体験を積み重ね、少しずつ自分を認めることができるようになりますが、それまでは、誰かに認めてもらうことの方が簡単だったりします。


たとえば会社組織だと、「会社のためになることをすれば評価がされる」ので、わかりやすい。(実行するのはそう簡単ではないんですけどね…)


なので、自分が大事にしていることではなくて、他人に認められるために必要なこと、をしがちです。


それが、自分を大事にすることとズレている理由です。誰かに認められることは、自分を大事にしていることとは違います。


頑張ることがエライとされる空気がある

これってなんなんでしょう。
頑張るという言葉って、つらくても歯を食いしばって耐え抜く、みたいなニュアンスが含まれていますよね。
いわゆる精神論、根性論的なやつ。

楽しさや心地よさと「頑張る」って、共存しない気がします。

心地よくほがらかに頑張る、とか
楽しくハッピーに頑張る、とかって、

え、本気でやってる?

となりますよね。でも、この考え、言葉を選ばずにいうと“古い”と思ってます。

頑張った結果ではなく、頑張ることそのものが重要視されていませんか?
ある意味パフォーマンス的な“頑張っている感”って、必要なのでしょうか。

ルールはすでに決まっているもので、それには従うべき、という思い込みが強いから

教育と関連してしそうなトピックですが、私たちは日本人は、真面目だし責任感が強いので、世の中にあるルール、それは暗黙のルールも含め、守ろうとしてしまう傾向にあると思います。


周りに合わせて、空気を読む


なので、何か違和感を感じても、優先するのはその場の空気やルール。

自分の中にある違和感を大事して動くことって勇気がいります。


例えば、

・大学卒業と同時に、どこかの会社に入社するものだ

・一つの会社に3年は勤めるべき

・社会人になったら、長期休暇はできないもの

・30歳を越したらキャリアチェンジは難しい

・女性の場合、30歳に近づいたらそろそろ結婚を考えるもの


など、一般的に言われていることって結構ありますよね。


それのルールって、果たして守るべきなのでしょうか。そもそも、正しいのでしょうか。辛かったら、3年待たずに辞めたって良いと思います。

世の中一般のルールが、自分にも当てはまるとは限りません。


もう一度、シンプルに考えてみる

子供の頃は純粋に、好きなものは好き、嫌なものは嫌、と感じることができ、言うこともできていたはず。

それがいつのまにか本当の気持ちがどこか置いてきぼりになり、自分でもわからなくなっている…

今まで生きてきた中で経験したことや得た知識が、変に邪魔をしていることがありそうです。自分が何にとらわれているのか、これからも自分に問いかけていきたいです!


次はyufkin。
今回考えたテーマの続きでも良いですし、ほかに気になっていることがあれば教えてください!

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